昭和 戦後〜成長期

源作の長男=青木崇は、復員して昭和21年(1945)、大洞売店でボート貸しを始めた。戦後はまだレジャーも少なかったので、日帰りの登山客も多かった。昭和24年(1949)には、貸しボートを40隻にして、昭和25年(1950)には大洞に別館を建て旅館業を開始した。

昭和20年(1645)代 佐藤愛子 度々滞在して、習作を執筆したり、友人と登山したりした。

赤城山山頂の夏牧場では戦前は主に軍用馬にするための馬が放牧されていて、戦後も昭和23年頃まで夏には大沼湖畔に馬や牛が放牧されていた。

昭和25年(1950)には大洞に別館を建て旅館業を開始した。この頃、手打ちラーメンや炭酸饅頭などが日帰りの行楽客に好評であった。

昭和28年(1953)本館も赤城山の木を用いて建て替えた。

昭和29年(1954)(有)青木旅館設立。青木崇が社長となる。

昭和30年(1955)大洞に電気が供給され、赤城山分校開校(平成9年(1997)休校)。翌31年(1956)赤城山出身の猪谷千春がコルチナオリンピックにてスラロームで銀メダル獲得。この年大洞まで東武バスの路線が延長された。

同年本館を増築。

昭和30年(1955)映画「ここに泉あり」の撮影で今井正監督、小林桂樹、岡田英次、岸惠子など宿泊。

オーストリア・スキー学校最高技能章」表彰状
青木崇が受けた「オーストリア・スキー学校最高技能章」表彰状

昭和32年(1957)利平茶屋と鳥居峠間にケーブルカー完成(昭和42年(1967)廃止)。大沼スケート場が開設され、観光バスによるスケートブームとなる。

旅館ではスケート靴の貸し出しも行い、氷上のスケートリンク脇に小さな小屋を数件並べて、挽き立ての珈琲や、あんまん、肉まん、ビンの牛乳を温めて販売した。

この頃は未だ夏まで氷室に保管しておいた大沼の氷にシロップを掛けたかき氷を食堂で販売していた。本館の敷地を流れる清水で冷やしたサイダーやビール、心太も夏には好評であった。

昭和33年(1958)地蔵岳ロープウエー及びスキーリフト運行開始(平成10年(1998)まで営業)。沼尻に電気供給。昭和40年(1965)小暮大鳥居完成。昭和41年(1966)赤城南面有料道路完成(白樺ライン)。

昭和38年(1963)3月13日 青木崇 「オーストリア・スキー学校最高技能章」を授与される。

昭和44年(1969)青木別館ドライブセンター開設(平成2年(1990)閉店)。昭和53年(1978)別館建替え。

昭和45年(1970)青木崇 全日本スキー連盟発行「SAJスキー教程」のスキーの歴史について執筆。編集・出版に関わる。

昭和50年(1975)~60年(1985)頃 田中澄江 登山で宿泊。「花の百名山」(昭和55年刊行)「新 花の百名山」(平成3年刊行)に投宿した日の事など記す。

昭和57年(1982)北面有料道路開通(平成7年(1995)南北両道路無料化)。翌年赤城温泉―小沼道完成。

昭和61年(1986)青木崇 全日本スキー連盟より永年の功績を讃え、表彰を授与される。